Wnt/β-cateninシグナル経路と線維化:発生プログラムの再活性化
発生や組織修復に重要なWnt/β-catenin経路。慢性疾患においてこの経路がどのように再活性化され、線維化を促進するのか?TGF-βとのクロストークや、阻害薬開発の最新動向を含めて解説します。
Wnt/β-cateninシグナル経路:線維化における「発生プログラム」の再活性化
はじめに:なぜ発生に重要な経路が線維化を促すのか?
Wnt/β-cateninシグナル経路は、胎生期における体軸形成や臓器発生に不可欠な経路であり、成体では主に幹細胞の維持や組織修復に関わります。 しかし、通常は静止している成体の臓器において、慢性的な損傷や炎症によりこの「発生プログラム」が異所的に再活性化されると、病的な線維化を引き起こすことが明らかになっています(Nature Reviews Molecular Cell Biology)。 肺、腎臓、肝臓、皮膚など、多様な臓器の線維化において、Wnt/β-cateninシグナルの持続的活性化が共通して観察されており、治療標的として注目されています。
1. 古典的Wntシグナル(Canonical Pathway):β-cateninの核内移行
Wntシグナルには複数の経路がありますが、線維化に最も関連が深いのは「古典的経路(β-catenin依存性経路)」です。
シグナル「OFF」状態:β-cateninの分解
Wntリガンドが存在しない場合、細胞質内のβ-cateninは「分解複合体(Destruction complex)」によって常に分解されています。
- Axin: 足場タンパク質。
- APC (Adenomatous Polyposis Coli): がん抑制遺伝子産物。
- CK1 (Casein Kinase 1)、GSK3 (Glycogen Synthase Kinase 3): β-cateninをリン酸化する酵素。
リン酸化されたβ-cateninは、ユビキチン化され、プロテアソームで分解されます。
シグナル「ON」状態:β-cateninの蓄積と核移行
Wntリガンド(Wnt1, Wnt3a, Wnt7bなど)が細胞膜上の受容体複合体に結合すると、以下の変化が起こります:
- 受容体活性化: Frizzled受容体(FZD)とその共受容体LRP5/6が複合体を形成。
- 分解複合体の阻害: Dishevelled(Dvl)タンパク質を介して、分解複合体が機能不全に陥る。
- β-cateninの蓄積: 分解されなくなったβ-cateninが細胞質に蓄積。
- 核への移行: β-cateninは核内へ移行し、転写因子TCF/LEFと結合。
- 標的遺伝子の発現: Wnt標的遺伝子の転写が活性化。
線維化関連遺伝子の発現
Wnt/β-catenin経路が活性化されると、以下のような線維化関連遺伝子が誘導されます:
- Snail1, Twist: EMT(上皮間葉転換)を促進。
- Fibronectin, MMP-7: ECMの沈着と再編成。
- PAI-1: ECM分解の阻害。
- FSP1, α-SMA: 筋線維芽細胞マーカー。
2. 臓器特異的なWntシグナルの役割
腎線維化
- 健常な成人の腎臓では、Wnt/β-cateninシグナルはほぼ沈黙状態。
- 腎障害(糖尿病性腎症、慢性腎炎など)により再活性化され、尿細管間質線維化を促進(J Am Soc Nephrol)。
- マクロファージにおけるWnt3a/β-cateninがM2極性化を誘導し、線維化を加速。
肺線維化(IPF)
- 特発性肺線維症(IPF)患者の肺組織では、核内β-cateninの増加とWnt標的遺伝子(Cyclin D1, MMP-7)の高発現が確認されている。
- 肺上皮細胞や線維芽細胞におけるWntシグナルが、EMTやコラーゲン合成を促進。
肝線維化
- 肝星細胞(HSC)の活性化に、Wnt/β-cateninシグナルが関与。
- HSCはWntシグナル活性化により増殖・生存し、コラーゲン産生を増強。
3. TGF-βとの相互作用(Crosstalk)
Wnt/β-catenin経路とTGF-β経路は、相互に増強し合う関係にあります(Frontiers in Physiology)。
- TGF-βによるWnt誘導: TGF-β刺激がWntリガンドの発現を増やす。
- WntによるTGF-β増強: Wnt活性化が線維芽細胞のTGF-β応答性を高める。
- 共通標的遺伝子: EMT関連転写因子(Snail, Twistなど)は、両経路の共通ターゲット。
この相乗効果により、単独の経路阻害では効果が限定的になる可能性があり、複数経路の同時標的化が必要とされています。
4. 治療標的としてのWnt/β-cateninシグナル
Wnt阻害薬の開発
- ICG-001: β-cateninと転写コアクチベーターCBPの相互作用を阻害。腎線維化モデルや肺線維症モデルで抗線維化効果が報告(J Am Soc Nephrol)。
- PRI-724: ICG-001の改良型。肝線維症モデルで肝星細胞の活性化抑制と炎症収束を促進。
- DKK1(Dickkopf-1): 内因性のWntシグナル阻害因子。LRP5/6への結合を競合阻害。
- 小分子阻害剤: GSK3β阻害剤などが研究段階。
課題と展望
Wntシグナルは組織修復や幹細胞維持にも必須であるため、全身的な阻害は副作用(創傷治癒遅延、幹細胞機能障害)のリスクがあります。臓器特異的なデリバリーシステムや、特定の下流標的(例:β-catenin/CBP相互作用)の選択的阻害が求められています。
結語
Wnt/β-cateninシグナル経路は、発生期には「正しい場所・正しい時期」に働く有益な機構ですが、成体の慢性疾患では「間違った場所・間違った時期」に再活性化され、線維化を駆動します。 この経路の適切な制御は、TGF-β経路と並んで、次世代の抗線維化療法の鍵となります。 当社の提供する各種線維化モデルは、Wnt経路を標的とした治療薬の薬効を、分子レベルから組織レベルまで評価するプラットフォームです。
参考文献
- Clevers H, Nusse R. Wnt/β-catenin signaling and disease. Cell. 2012;149(6):1192-1205.
- Akhmetshina A, et al. Activation of canonical Wnt signalling is required for TGF-β-mediated fibrosis. Nat Commun. 2012;3:735.
- He W, et al. Wnt/β-catenin signaling promotes renal interstitial fibrosis. J Am Soc Nephrol. 2009;20(4):765-776.