Hippo/YAP/TAZシグナル経路:線維化におけるメカノトランスダクション
組織の「硬さ」を感じ取るメカノセンサーYAP/TAZ。Hippo経路による制御メカニズムと、線維化組織における「硬さの悪循環(正のフィードバック)」、そして新たな治療標的としての可能性を解説します。
Hippo/YAP/TAZシグナル経路:硬さを感じ取る「メカノセンサー」
はじめに:組織の硬さが細胞の振る舞いを変える
Hippo/YAP/TAZシグナル経路は、元々は臓器サイズの制御や細胞増殖の抑制に関わる経路として発見されました。 しかし近年、この経路の中心プレイヤーであるYAP(Yes-associated protein)とTAZ(Transcriptional coactivator with PDZ-binding motif)が、細胞外マトリックス(ECM)の「硬さ」を感じ取るメカノセンサー(Mechanosensor)として機能することが明らかになりました(Nature)。 病的に硬化した線維化組織において、YAP/TAZは核内に移行して筋線維芽細胞の活性化を駆動し、さらなる線維化を促進する正のフィードバックループを形成します。
1. Hippo経路の基本メカニズム:YAP/TAZの「オン・オフ」制御
Hippo経路が「ON」の場合:YAP/TAZの不活性化
Hippoキナーゼカスケ一ドが活性化している場合、YAP/TAZは核外(細胞質)に留まり、機能しません。
- 上流キナーゼMST1/2の活性化: 細胞密度が高い、細胞接着が確立されている場合に活性化。
- LATS1/2のリン酸化: MST1/2が足場タンパク質SAV1、MOB1と複合体を形成し、下流のLATS1/2をリン酸化・活性化。
- YAP/TAZのリン酸化: 活性化されたLATS1/2がYAP/TAZをリン酸化。
- 細胞質への隔離と分解:
- リン酸化されたYAP/TAZは14-3-3タンパク質に結合し、細胞質に留まる。
- さらにユビキチン化され、プロテアソームで分解される。
Hippo経路が「OFF」の場合:YAP/TAZの活性化
Hippoキナーゼカスケードが抑制されると、YAP/TAZはリン酸化されないため、核内に移行できます。
- 未リン酸化YAP/TAZの核移行: 細胞質に留まらず、核内へと移動。
- TEAD転写因子との結合: YAP/TAZ自身にはDNA結合能がないため、転写因子TEAD1-4と結合。
- 標的遺伝子の発現誘導:
- 増殖関連遺伝子: CTGF(結合組織増殖因子)、サイクリンD1
線維化関連遺伝子: PAI-1、フィブロネクチン、コラーゲン
2. メカノトランスダクション:硬さを感じ取るYAP/TAZ
YAP/TAZの最も重要な特性は、Hippo経路とは「独立」して、細胞外の物理的環境(特にECMの硬さ)に応答することです。
硬い基質上でのYAP/TAZ活性化
- 柔らかい基質(生理的な硬さ): YAP/TAZは細胞質に留まり、不活性。
- 硬い基質(病的な硬さ、線維化組織): YAP/TAZは核内に移行し、活性化。
活性化メカニズム
- インテグリンによる接着: 硬いECMは細胞-ECM接着を強化。
- アクチン細胞骨格の緊張: RhoA GTPaseが活性化され、アクチンストレスファイバーが形成。
- YAP/TAZの脱リン酸化: 細胞骨格の緊張が、LATS1/2を抑制し、YAP/TAZのリン酸化が減少。
- 核移行と遺伝子発現: 活性化されたYAP/TAZが核内でTEADと結合し、増殖・線維化遺伝子を誘導。
3. 線維化における正のフィードバックループ
YAP/TAZの厄介な点は、「硬さを感じて、さらに硬くする」という自己増幅的な作用です。
- 組織損傷と初期線維化: 炎症により線維芽細胞が活性化し、ECMが沈着。
- ECMの硬化: 過剰なコラーゲン沈着により、組織が病的に硬くなる。
- YAP/TAZの活性化: 硬いECMが線維芽細胞のYAP/TAZを核内へ移行させる。
- 筋線維芽細胞への分化促進: YAP/TAZがα-SMA、コラーゲン、PAI-1などの発現を誘導。
- さらなるECM沈着: 筋線維芽細胞が大量のコラーゲンを産生し、組織がさらに硬化。
- ループの持続: 硬さ → YAP/TAZ活性化 → ECM産生 → 硬さ、という悪循環が継続。
このフィードバックループは、TGF-βシグナルとも協調して働き、線維化を不可逆的に進行させます。
4. 治療標的としてのYAP/TAZ
YAP/TAZ阻害の戦略
- Verteporfin: YAP-TEAD相互作用を直接阻害する低分子化合物。肺線維症モデルで抗線維化効果が報告。
- ペプチド阻害剤: YAP/TAZのTEAD結合ドメインを模倣したペプチドで、競合阻害。
- 上流標的: RhoA阻害剤やアクチン重合阻害剤により、YAP/TAZの核移行を間接的に抑制。
課題
YAP/TAZは、幹細胞の維持や組織再生にも重要であるため、全身的な阻害は副作用のリスクがあります。臓器特異的なデリバリーや、線維化に特異的な下流標的の選択的阻害が求められます。
結語
Hippo/YAP/TAZシグナル経路は、「硬さ」という物理的シグナルを「線維化」という病理学的プロセスに変換する中心的なメカニズムです。 TGF-βシグナルが「化学的シグナル」の中心であるのに対し、YAP/TAZは「物理的シグナル」の中心エフェクターであり、両者の相互作用が線維化を加速させます。 当社の提供する線維化モデルは、この複雑な相互作用を捉え、メカノトランスダクションを標的とした次世代治療薬の可能性を評価するプラットフォームです。
参考文献
- Zhao B, et al. Inactivation of YAP oncoprotein by the Hippo pathway is involved in cell contact inhibition and tissue growth control. Genes Dev. 2007;21(21):2747-2761.
- Liu F, et al. Mechanosignaling through YAP and TAZ drives fibroblast activation and fibrosis. Am J Physiol Lung Cell Mol Physiol. 2015;308(4):L344-357.
- Dupont S, et al. Role of YAP/TAZ in mechanotransduction. Nature. 2011;474(7350):179-183.